未曽有の豪雨災害から4年を迎えるにあたり、令和2年7月豪雨災害で犠牲となられた方々を追悼すること及び災害を風化させないことを目的に令和2年7月豪雨犠牲者追悼式を執り行いました。
日にち:令和6年6月30日(日曜日)
場所:市役所庁舎 1階市民ホール
追悼式次第
午前10時 黙とう
- 献奏
- 主催者式辞
人吉市長 松岡 隼人
- 来賓のお言葉
熊本県知事 木村 敬 様
衆議院議員 金子 恭之 様
参議院委員 馬場 成志 様
- 追悼のお言葉
丸尾 喜世人 様
- 献花
人吉市長 式辞
本日ここに、令和二年七月豪雨犠牲者追悼式を挙行するに当たり、御遺族ならびに大変御多忙の中、木村知事、地元選出の金子先生、馬場先生をはじめ多数の御来賓の皆様の御臨席を賜り、誠にありがとうございます。
人吉市を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます。
未曾有の大水害であった令和二年七月豪雨災害から四年を迎えようとしております。四年という歳月が経過しても、なお御遺族の皆様におかれましては、大切な御家族を失われた悲しみが決して癒える日はなかったものと推察いたします。
私自身も昨年の追悼式において遺族代表の倉岡様からいただいた「当事者として災害の教訓や経験を伝えていきたい」とのお言葉を胸にこの1年を過ごしてまいりました。この言葉を戒めとして、本市の市長としてこの災害を決して風化させることなく次の世代に継承していかなければならないと強く心に銘じるとともに、今はただ、二度とこのような悲劇に見舞われることのないよう、残された者の責務を果たしてまいる所存です。改めて、ここに二十一名の御霊に対し御誓い申し上げ、御霊の安らかならんことを祈念し、哀悼の誠を捧げます。
災害からこれまでの道のりを振り返りますと、災害直後も数日にわたって雨が降り続き、土砂にまみれた日常に、今後、光が射すのだろうかとの想いを抱き、心が折れそうになる事もありましたし、多くの困難にも直面しましたが、被災者の皆様が一日も早く日常生活を取り戻すことができるよう国、県をはじめ多くの関係の皆様の御支援を賜りながら復旧・復興にこれまで全力で取り組んでまいりました。
そのような中、恒久的な住まいとなる相良町災害公営住宅が昨年十二月に完成し、百十八世帯二百三十二人が入居されるなど、目に見える形で復興が着実に進んでいることを実感しているところでございます。
しかしながら、現在もなお、多くの方々が応急住宅での生活を余儀なくされていることも実情であり、当初からの「誰一人取り残さない」との強い決意のもと、引き続き被災者の皆様の恒久的な住まいの確保に向け、迅速な事業実施に努め、一日も早い復興を目指して取り組みを進めてまいります。
一方、先人達から連綿と受け継いできたこの地に、この先も変わらず愛する球磨川と共に生きていくため、二度とこのような水禍に見舞われることのないよう、新たに県政を担われる木村新知事が約束された命と清流を守る「緑の流域治水」の取組を、国・県・流域市町村と連携し、強力に推進してまいります。
また、水害以前からのまちの課題をも解決すべく、新たなまちづくりにも着手しております。青井地区、中心市街地地区の土地区画整理事業を更に推進し、中心市街地や青井阿蘇神社前の賑わいづくりなどに果敢に取り組むことで持続発展できるまちの実現を市の総力を持って力強く目指してまいります。
結びに、犠牲となられた二十一名の御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族並びに御臨席いただきました皆様の御健勝、そして本市の将来に御加護を賜りますよう心からお祈り申し上げ、私の追悼の言葉といたします。
令和6年6月30日 人吉市長 松岡 隼人
追悼のお言葉(丸尾 喜世人様)
令和2年7月豪雨から4年が経過しようとしている本日、代表しまして、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
当時、私は精肉店を営む傍ら、人吉市消防団の団長を務めておりました。7月4日の早朝、増水した球磨川を見て、いつもより早く配達を済ませようと家を出ました。そのときは、まさかこんな大きな災害になるとは思っていませんでした。配達先を回り、帰ろうとしたときには既に越水が始まり、人吉橋、大橋、水の手橋が渡れず、曙橋へ大回りしたことまでは記憶にあるのですが、そこからどうやって家に帰ってきたのか、今でも思い出せないほど気が動転していました。
帰宅すると、既に自宅は浸水し始めており、そこからは近所への声かけや、自分自身と家族の命を守ることに必死で、消防団の動きは気になっていましたが、逐次入ってくる連絡を確認するのが精一杯でした。広範囲の浸水で行動は制限され、私自身も現地に行くことができず、歯がゆい思いでした。
後日の報告で、消防団員一人ひとりがそれぞれの場所で、避難誘導や人命救助など、地域の方々のために尽力していたことを知りました。結果的に、団員に人的被害がなかったことに安堵しましたが、これはまったくの幸運だったと思います。一つ間違えば、誰が命を落としていてもおかしくはない状況でした。
この経験から私が何か伝えられるとすれば、「とにかく早く避難をしてほしい」ということです。あの日も、前夜からの大雨は認識しながらも、「いつもの大雨だろう」「そんなにひどいことにはならないだろう」と思っていた方は、私を含め多かったのではないでしょうか。
昨今、気象予測の技術は日々進歩しています。線状降水帯の予報が県単位で出るようになったというニュースもありました。しかし、せっかくの情報も、行動に移さなければ意味がありません。
避難情報や警報が発令されたら、空振りでもいいから避難をすること。あの日の「まさか」が、いつまた起こるかわかりません。令和2年7月豪雨災害から私たちが学んだ教訓を、防災対策に生かしていかねばなりません。
被災され、辛(つら)く悲しいご経験をされた多くの皆さんは今もなお、それぞれの思いを胸に、日々を力強く歩んでいらっしゃることと思います。復興はまだまだ道半ばですが、人吉の復興と共に、しっかりと前に進みながら、災害の教訓を風化させることなく、伝え続けていくことを、改めてここに誓います。私も微力ながら、ふるさと人吉が安心して暮らせるまちになるよう、力を尽くしてまいりたいと思います。
最後になりましたが、改めまして、これまでご支援をくださった皆様、復旧・復興に携わっていただいた皆様に深く感謝を申し上げます。
令和2年7月豪雨災害で亡くなられた全ての方々の御霊(みたま)の平穏を心よりお祈り申し上げ、追悼の言葉といたします。
令和6年6月30日 代表 丸尾 喜世人
献花台設置
日時:令和6年7月1日(月曜日)から4日(木曜日) 8時30分から17時
場所:市役所庁舎 1階市民ホール
71名の方へ献花いただきました。
献花の際に一部の方からいただきました献花料につきましては、令和2年7月豪雨災害見舞金として寄付させていただきました。