未曽有の豪雨災害から6年を迎えるにあたり、令和2年7月豪雨災害で犠牲となられた方々を追悼すること及び災害を風化させないことを目的に令和2年7月豪雨犠牲者追悼式を執り行いました。
日にち 令和8年7月5日(日曜日)
場所 市役所庁舎 1階市民コーナー
追悼式次第
午前10時 黙とう
- 献奏
- 主催者式辞
人吉市長 松岡 隼人
- 来賓のお言葉
国土交通大臣 金子 恭之 様
熊本県知事 木村 敬 様
- 追悼のお言葉
城本 優星 様
- 献花
人吉市長 式辞
令和2年7月豪雨災害の発生から、昨日で6年という歳月が流れました。本日、犠牲となられた皆様を追悼するにあたり、御遺族の皆様、ならびに国土交通大臣 金子恭之 様、熊本県知事 木村敬 様をはじめ、多数の御来賓の皆様の御臨席を賜り、謹んでお礼申し上げます。
未曾有の災害から6年が経過した今も、私たちは失われた21名のかけがえのない命の重さを、決して忘れることはありません。愛する御家族を突然の災禍で失われた御遺族の皆様の、癒えることのない悲しみと喪失感を思いますと、胸が締め付けられる想いです。改めて、犠牲となられた皆様の御冥福を心からお祈り申し上げますとともに、御遺族の皆様に衷心より哀悼の意を表します。
あの日、私たちのまちを襲った球磨川の濁流と、変わり果てた故郷の姿は、今も私たちの心に深く刻まれています。この6年間、私たちは深い悲しみに向き合いながらも、再びこの地で歩み続けるための努力を重ねてまいりました。全国の皆様からの温かい御支援と、市民の皆様の力強い結束により、復興は着実に前進を続けております。
避難路整備をはじめ「逃げ遅れゼロ」を目指す避難体制の強化、そして国・県・流域市町村と連携した「緑の流域治水」への取組は、持続可能な未来を築くための重要な礎です。災害の教訓を風化させることなく、次世代へ継承できるまちの形を具体的に作り上げてまいります。
そして、この1年も、復興に向けて確かな歩みを重ねてまいりました。まちのシンボルであるSL人吉が「動態展示」として再び汽笛の音を響かせたことは、地域の活気を取り戻す大きな一歩となりました。また、令和7年3月に策定した「人吉市まちなかグランドデザイン推進アクションプラン」に基づき、安全安心なまちづくりを基礎として、暮らしの満足度と観光地としての魅力を高めるため、市民の皆様とともに社会実験で検証しながら、未来に向けたまちづくりを進めています。さらに、来る9月に予定されているくま川鉄道の全線復旧は、地域の再興を信じ歩んできた私たちにとって、大きな希望の光となるものと確信しております。再び線路がつながり、列車が力強く球磨川沿いを駆けるその姿は、私たちが幾多の困難を乗り越え、未来へと確実に歩み出していることの何よりの証となることでしょう。線路が結ぶ地域社会の再生を、市民の皆様と共に喜び合えるその日を、心から待ち望んでおります。
一方、復興の道のりにおいて、日々の暮らしと真摯に向き合い、試行錯誤を重ね一歩ずつ前へ進んでおられる方々がいらっしゃいます。そのお一人おひとりの歩みを支え、誰もが安心して暮らせる環境を整えることこそが、我々の使命です。今後も、皆様に寄り添う支援を全力で継続してまいります。
過酷な環境の中にあっても、この人吉を愛し、再興のために御尽力いただいております全ての皆様の、強靭な意志と懸命な歩みに、心から敬意を表します。皆様とともに、より強く、より安全な人吉を未来へとつないでいくため、市長として全身全霊で取り組むことを、ここに改めてお誓い申し上げます。
結びに、犠牲となられた方々の御霊(みたま)が安らかに鎮まりますことを心からお祈り申し上げるとともに、御遺族並びに御臨席いただきました皆様の御健勝、そして本市の復興がさらなる飛躍へとつながりますことを祈念申し上げ、追悼の言葉といたします。
令和8年7月5日 人吉市長 松岡 隼人
追悼のお言葉(城本 優星様)
令和2年7月豪雨災害から、昨日で6年が経ちました。
本日ここに、犠牲となられた方々を悼む追悼式が挙行されるにあたり、代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
私は、発災当時、小学校6年生でした。
あの夜のことは、今も鮮明に心に刻まれています。
激しく降り続く雨の中、当時、松岡市長が防災行政無線を通して、必死に避難を呼びかけておられた声を、はっきりと覚えています。
切迫したその声から、事態の深刻さが伝わり、胸が締めつけられるような不安を感じました。
幼いながらも、「いつもとは違う」「命に関わる状況なのだ」と直感した瞬間でした。
私の家も、床上浸水の被害を受けました。
家の中に流れ込んだ水と泥、濡れて使えなくなった家具や家電製品が次々と外に運び出されていく光景は、今でも忘れることができません。
安心できるはずの自宅が、一瞬にして不安と恐怖に包まれる場所へと変わってしまった現実を、身をもって経験しました。
この豪雨災害は、自然の力の前で、決して油断してはならないということを、私に強く教えてくれました。
私の小学校最後の生活は、コロナ禍での豪雨災害復旧の1年になりました。
休校や行事の中止など、これまで当たり前だと思っていた日常は大きく制限され、人と集い、語り合うことの難しさを知りました。
豪雨災害とコロナ禍という2つの困難を経験したことで、何気ない日常や人とのつながりが、どれほどかけがえのないものであるかを、深く実感するようになりました。
令和8年度は、熊本地震から10年という節目の年でもあります。
相次ぐ大きな災害を経験してきた私たちの世代にとって、防災や減災は今を生き、未来を考えるうえで欠かすことのできない課題です。
災害の記憶を風化させず、教訓として学び続け、次の世代へと確実に引き継いでいくことが、私たちに課せられた責任であると感じています。
一方で、人吉球磨地域は、確実に復興への歩みを進めています。
地元の鉄道である、くま川鉄道は、まもなく全線開通を迎えようとしており、
「人と人」、「地域と地域」を再びつなぐ希望の象徴となっています。
また、街並みの再生や地域行事の復活など、人吉球磨は新たな一歩を踏み出し、未来へ向かって歩み続けています。
私は現在、球磨工業高校に通っています。
そこで私が所属する機械科では、金属加工技術や構造物の機構、設計、材料の性質などについて学びを深めており、ものづくりや地域活性化に貢献する学びにつなげることで、社会や地域を支える存在となることを目指しています。
また、球磨工業高校では防災教育にも力を入れています。
避難訓練のほか、ハザードマップを確認しながらのマイタイムライン作成や、空き缶や牛乳パックを使用したサバイバル炊飯、自衛隊の方を招いての防災講話など、学校独自の様々な取り組みを毎年続けています。
復興とは、元に戻すことだけではなく、より安全で、より強い地域を築いていくことだと、日々の学びを通して実感しています。
私たちは、令和2年7月豪雨災害を実際に経験した世代として、その記憶と教訓を決して忘れてはなりません。
そして、同じ悲しみを繰り返さない社会を実現するために、自分に何ができるのかを考え、行動し続けることが大切だと考えています。
最後になりましたが、令和2年7月豪雨災害により尊い命を失われたすべての方々に、心より哀悼の誠を捧げます。
これからの学びと技術を力に変え、人吉球磨地域の未来を支える一員として歩み続けることをここにお誓い申し上げ、追悼の言葉といたします。
令和8年7月5日 代表 城本 優星
献花台設置
日時:令和8年6月29日(月曜日)から7月3日(金曜日) 8時30分から17時00分まで
場所:市役所庁舎 1階市民コーナー
121名の方に献花いただきました。
