「歴史・文化」の記事一覧

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[2020年1月7日] カルチャーパレス1月の催し一覧(ホール)

カルチャーパレスカルチャーパレス大・小ホールの1月の催し物をお知らせします。1月の催し物は下記のPDFをクリックして...


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[2019年12月19日] プラネタリウムのご案内

プラネタリウム「プラネタリウム」について  雨の日でも昼間でも星空を作り出し、星々や星座の不思議に触れることが...


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[2019年12月13日] 「日本遺産の日」

 文化庁及び日本遺産連盟は、国民の皆さまの日本遺産に対する理解と、関心を高めることを目的に、2月1...


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[2019年9月26日] 人吉城歴史館

人吉城歴史館リーフレット表紙画像 相良家とは1相良氏の登場と人吉荘 相良氏は元々、遠江国相良庄(現在の静岡県牧之原市)を本拠とした武士ですが、建久4年(1193)相良頼景が多良木庄、建久9年(1198)に頼景の長男、相良長頼が人吉荘に下向したとされ、長頼が元久2年(1205)人吉荘の地頭に任命されこの地を治めます。その後、長頼は、次男の頼氏に多良木荘、三男の頼俊に人吉荘南方を譲ります。以後、頼氏の家系を上相良、頼俊の家系を下相良と呼ぶようになりました。2人吉城の築城と戦国大名相良氏の誕生 人吉球磨を領地とした二つの相良氏は南北朝の争いの中で、対立と融和を繰り返し、結果として武家の拠点となる城郭が整備されることになりました。文安5年(1448)、下相良第11代相良家当主相良長続は上相良を滅ぼし球磨郡を統一します。この頃、古文書に初めて人吉城が登場します。戦国時代になると、相良氏は芦北・八代・薩摩に兵をさしむけて領土の拡大を図り、陣城や城郭を人吉や球磨郡城に築城するなど戦国大名として発展していきました。 3近世人吉城の築城と人吉藩 豊臣秀吉の進軍による九州平定の後、相良氏は球磨郡一将の領主として存続します。天正17年(1589)には、人吉城の大改修が行われ、新時代の技術である石垣づくりの城となります。また、この石垣造りの城は、急流・球磨川とその支流を天然の堀とする「川の城」でもありました。1600年の関ケ原の戦いでは、相良家家老、相良清兵衛の機転により石田方から一転して徳川方に寝返り、この功績で外様大名として存続することに成功します。以後、明治時代の廃藩置県を迎えるまで一貫して、人吉城を本拠とし、人吉球磨の領主を務めることとなりました。鎌倉時代から明治時代まで長きにわたり、同一の領主が同じ地域を治めるという全国的にも珍しい歴史を持ち、「相良700年」とも称されています。【史蹟人吉城跡は日本遺産構成文化財の一つです。】人吉城歴史館 利用のご案内開館時間午前9時から午後5時まで(入館時間は午後4時30分まで)休館日毎月第...


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[2019年9月1日] 人吉市カルチャーパレス消費税増税に伴う施設使用料の変更につい...

カルチャーパレスの写真消費税増税(10%)に伴う施設使用料の変更について人吉市カルチャーパレスでは現在ホール棟の貸出しを行...


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[2019年4月4日] 『ひとよし歴史研究』第21号販売について

歴史研究(表紙)『ひとよし歴史研究』第21号が販売中です!人吉・球磨地方の地域文化の解明と学術研究のために発行され...


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[2018年6月5日] 人吉城跡

球磨川から見た復原櫓の写真 人吉城跡の復元櫓 国の史跡に指定されている人吉城跡は、清流球磨川のほとりにあります。鎌倉時代から...


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[2017年9月29日] カルチャーパレス客席図

大ホールの客席図カルチャーパレス客席図を掲載しました。ご不明な点は会館までお問い合わせください。大ホール大ホール...


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[2017年6月27日] 完売『人吉のまつり〜春夏秋冬・四季の楽しみ〜』

『人吉のまつり』表紙の画像です人吉市内の各所で行われている「まつり」の調査報告書です。市内では、神仏を祀り、祟りを鎮めたり、地...


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[2017年5月25日] 日本遺産認定の構成文化財が追加されました

青井阿蘇神社の外観写真です 平成29年4月、「相良700年が生んだ保守と進取の文化〜日本でもっとも豊かな隠れ里-人吉球磨〜」(平成...



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