人吉城歴史館

更新日:2019年9月26日

人吉城歴史館リーフレット表紙画像 相良家とは1相良氏の登場と人吉荘 相良氏は元々、遠江国相良庄(現在の静岡県牧之原市)を本拠とした武士ですが、建久4年(1193)相良頼景が多良木庄、建久9年(1198)に頼景の長男、相良長頼が人吉荘に下向したとされ、長頼が元久2年(1205)人吉荘の地頭に任命されこの地を治めます。その後、長頼は、次男の頼氏に多良木荘、三男の頼俊に人吉荘南方を譲ります。以後、頼氏の家系を上相良、頼俊の家系を下相良と呼ぶようになりました。2人吉城の築城と戦国大名相良氏の誕生 人吉球磨を領地とした二つの相良氏は南北朝の争いの中で、対立と融和を繰り返し、結果として武家の拠点となる城郭が整備されることになりました。文安5年(1448)、下相良第11代相良家当主相良長続は上相良を滅ぼし球磨郡を統一します。この頃、古文書に初めて人吉城が登場します。戦国時代になると、相良氏は芦北・八代・薩摩に兵をさしむけて領土の拡大を図り、陣城や城郭を人吉や球磨郡城に築城するなど戦国大名として発展していきました。 3近世人吉城の築城と人吉藩 豊臣秀吉の進軍による九州平定の後、相良氏は球磨郡一将の領主として存続します。天正17年(1589)には、人吉城の大改修が行われ、新時代の技術である石垣づくりの城となります。また、この石垣造りの城は、急流・球磨川とその支流を天然の堀とする「川の城」でもありました。1600年の関ケ原の戦いでは、相良家家老、相良清兵衛の機転により石田方から一転して徳川方に寝返り、この功績で外様大名として存続することに成功します。以後、明治時代の廃藩置県を迎えるまで一貫して、人吉城を本拠とし、人吉球磨の領主を務めることとなりました。鎌倉時代から明治時代まで長きにわたり、同一の領主が同じ地域を治めるという全国的にも珍しい歴史を持ち、「相良700年」とも称されています。【史蹟人吉城跡は日本遺産構成文化財の一つです。】


 


 


人吉城リーフレットの開いた画像 発見された地下室!相良家家老相良清兵衛の屋敷跡から発掘調査で発見された石積みで囲われた井戸をもつ地下室です。寛永17年(1640)に描かれた絵図から「二階持仏堂」の地下にあたると推測されますが、全国にも例がなく、その用途は謎に包まれています。「特別展示室」 歴史館が収容している資料の展示や、期間を定めた特別展が開催されます。「繊月石」人吉城は「三日月城」や「繊月城」の別称があります。その由来とされる繊月石(市指定文化財)を展示しています。「球磨絵図」相良氏の支配地である球磨郡を描いた巻物仕立ての絵図。江戸時代の村名や寺院、神社等、球磨郡全体の社会を知ることができます。「常設展示室」相良氏に関連する考古資料や古文書等を展示し、映像とパネルにより鎌倉時代から明治時代までの相良氏の歴史を解説しています。


 



 

人吉城歴史館 利用のご案内

開館時間

午前9時から午後5時まで(入館時間は午後4時30分まで)

休館日
  • 毎月第二月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)
  • 年末・年始(12月29日〜1月3日まで)
観覧料

令和元年10月1日から消費税率の改定により、観覧料が210円となります。

※団体や高校生以下の観覧料に変更はありません。  

表:人吉城歴史館の観覧料

区分個人団体(20人以上)
一般210円1人につき150円
高校生以下無料無料

 障害者手帳をお持ちの方と付添の方1人まで無料

館内のご案内

城に学び人吉を知る

相良700年が生んだ保守と進取の文化
日本でもっとも豊かな隠れ里 人吉球磨
人吉を拠点に700年続いた武家相良家

  1. 相良氏の登場と人吉荘
  2. 人吉城の築城と戦国大名相良氏の誕生
  3. 近世日よと市場の築城と人吉藩
  • 特別展示室
  • 常設展示室
  • 繊月石
  • 球磨絵図 

 

お問い合わせ

〒868-0051 熊本県人吉市麓町18番地4
電話番号 0966-22-2324
ファクス番号 0966-22-2134
電子メールでのお問い合わせは下記「お問い合わせ」の欄の「この記事に関するお問い合わせ」のボタンをクリックしてください。



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教育部 歴史文化課 歴史文化係
電話番号:0966-22-2324
ファクス番号:0966-22-2134この記事に関するお問い合わせ