令和2年7月豪雨犠牲者追悼式を開催しました

更新日:2021年7月8日

未曽有の豪雨災害から1年となる7月4日、スポーツパレス小アリーナにて追悼式を執り行いました。

新型コロナウイルス感染症予防対策の観点から、参列者はご遺族等に限定しての開催となりましたが、午前10時の追悼サイレンに合わせ、市全体で黙とうを捧げ、災害で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたしました。

追悼式では、市長及び県知事がお亡くなりになられた方々への哀悼の意と被災された全ての皆さまへお見舞いを述べた後、多くの支援に対する感謝とともに、被災者にしっかり寄り添い復興を成し遂げていく決意を述べました。

 追悼式の写真


 

追悼式次第

  午前10時  追悼サイレン放送に合わせ黙とう

  • 主催者式辞    人吉市長・熊本県知事
  • ご遺族代表のお言葉 
  • 献花
人吉市長 式辞

 未曽有の被害をもたらした令和2年7月豪雨の発生から1年となる本日、御遺族や御来賓の御臨席を賜り、令和2年7月豪雨犠牲者追悼式を執り行うにあたり、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 令和2年7月豪雨により、災害関連死を含め、21名のかけがえのない命が犠牲となりました。豪雨により亡くなられた方々の無念さ、そして、最愛の御家族を突然失った方々のお気持ちを思うと、痛恨の極みであり、今なお哀惜の念に堪えません。ここに改めて本市を代表して哀悼の意を捧げます。

 本市を襲った記録的な豪雨は、穏やかな日常を一変させ、多くの爪痕を残しました。2,300棟を超える住家が全半壊の被害を受け、商店、宿泊施設が立ち並ぶ中心市街地の大部分が浸水し、990にものぼる事業者が被災するなど、壊滅的な状態となり、多数の方々が住まいやなりわいに必要な施設や設備、田畑といった大切な財産を失いました。被災された全ての皆さまに重ねてお見舞いを申し上げます。

 私は、あの日の人吉の変わり果てた姿が目に焼き付いて離れません。本市は、昭和40年7月洪水や昭和57年7月洪水など、これまで数々の大洪水に見舞われてきました。昨年の豪雨は、それらを遥かに上回る雨量で、瞬く間に川の水かさが増していきました。それはまるで津波のような洪水であり、短時間でのあまりの変貌に私自身大変な衝撃を受け、愕然としたことを今でも思い出します。

 そのような状況の中、発災直後から、避難所の運営をはじめ、災害廃棄物の処理、道路や宅地内に堆積した土砂の撤去など、本市の復旧に関しましては、国、県、自衛隊、消防、警察、全国の自治体、民間団体など、各方面から多大なるご支援を賜りました。

 また、災害ボランティア活動においても、新型コロナウイルス感染症の影響もあり、県内在住の方々に限らせていただきましたが、そのような中でも、全国から多くのお申し出やさまざまなご支援をいただきましたことは、被災地の市長として大変心強く、そして、これほどの皆さまが本市を見守っていてくださった事実に、深く感謝する次第でございます。

 さらには、今年の1月には、天皇皇后両陛下よりオンラインでのお見舞いを賜り、両陛下の心温まるお言葉に励まされるとともに、これからも続いていくであろう数々の困難に立ち向かう勇気をいただきました。

 発災から1年近くが経過する中で、少しずつではありますが、着実に復興の歩みを進めることができておりますのは、多くの皆さまの御尽力によるものであり、全ての関係の皆さまに心からお礼を申し上げます。

 しかしながら、現在も、1,800名近い方々が仮設住宅での生活を余儀なくされており、安定した住まいの確保は、早期の生活再建のため最も重要視される事項であります。

本市といたしましても、被災者お一人おひとりに寄り添いながら、切れ目のない支援を継続するとともに、被災された全ての皆さまが安心して暮らすことができる住まいの確保となりわいの再建に、全力で取り組んでまいります。

 本市におきましては、豪雨災害からの復旧、復興に向けて力強く前進するための指針となる人吉市復興計画を本年3月に策定、その実現に向けて、現在、市民の皆さまと協働、連携しながら地域ごとに取り組むべき事業やまちづくりの方向性をまとめた復興まちづくり計画の策定を進めています。

その過程の中で、これからの人吉市がどうあるべきか、自分たちのまちの将来について市民一人ひとりが真剣に考え、最善の選択をもって協働、実行していくことが肝要であると存じます。地域にお住まいの皆さまと我々行政とがその想いを一つにし、希望ある人吉市を創り上げるため、一丸となってまちの再建に取り組んでまいります。

 今回の豪雨により、我々はあまりにも多くのモノやコトを失い、傷つきました。しかしながら、常に私たちの傍にあり、母なる川として親しんできた球磨川とともに、慣れ親しんだこの地でまた暮らしたい、このような市民の皆さまの思いに応えていくためにも、二度と犠牲者を出してはならないと固く決意し、市民の皆さまが安心して暮らしていただけるまちを築くため、最善の努力を続けてまいることをお誓い申し上げます。

 結びに、御霊の永久に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族並びに御臨席頂きました皆さまの御健勝を心からお祈り申し上げ、私の追悼の言葉といたします。

 令和3年7月4日 人吉市長 松岡 隼人

熊本県知事 式辞

 令和2年7月豪雨犠牲者の追悼式に当たり、犠牲となられた方々の御霊に対して、熊本県民を代表し、謹んで哀悼の意を表します。

 未曾有の被害をもたらした豪雨災害から、今日でちょうど1年となります。濁流に飲み込まれた街並みや、想像を絶する強大な力で押し流された橋、大きく削り取られた川沿いの道路など、深く傷付いた県土の姿を目の当たりにした時の衝撃は、今も忘れることができません。

 災害発生直後から、悪天候の中、自衛隊、消防、警察の皆さまには、懸命の救助活動を行っていただきました。多くの方々が救助された一方で、災害関連死を含む67名の尊い命が失われ、今もなお2名の方が行方不明になられていることを思うと、胸が張り裂ける思いです。改めて、御遺族の皆さまにお悔みを申し上げるとともに、被害に遭われた皆さまにお見舞いを申し上げます。

 私は、県民の安全・安心な暮らしに責任を負う知事として、どうしてこのような被害を防ぐことができなかったのか、自問自答を繰り返しました。そして、二度とこのような被害を生じさせてはならないと固く決意し、一日も早い復旧・復興を果たすことを心に誓いました。

 そこで、球磨川流域の復旧・復興と治水の方向性を検討するため、人吉市をはじめ全ての流域市町村などで「御意見をお聴きする会」を開催し、住民の皆さまの御意見を伺いました。そして、「命と清流の両方を守る」ことこそが、全ての流域住民に共通する「心からの願い」であり、それに応えることが、私に課された使命であると、強く認識しました。

 熟慮を重ねた末、昨年11月19日に、遊水地の活用、田んぼダム、森林整備、さらには新たな流水型ダムの整備など、これまで以上に自然環境との共生を図りながら、流域全体の総合力で安全・安心を実現させる「緑の流域治水」に取り組むことを表明しました。

 さらに、「令和2年7月豪雨からの復旧・復興プラン」を策定し、一日も早い被災地の創造的復興に向けて、国や流域市町村と連携して取り組んでいます。

 被災地では、多くの皆さまが困難に立ち向かいながら、住まいや生業の再建に向けた歩みを着実に進めておられます。仮設商店街などで営業を再開された飲食店の皆さま、再建に向けて準備を進める観光施設やホテル・旅館の皆さま、高校生の通学のために代替バスの運行を支える皆さまなど、お一人お一人が、この地域は必ずや復興すると信じて、懸命に取り組んでおられます。

 被災地域の復興まちづくりは、解決すべき課題も多く、一朝一夕には成し得ません。現在、住民の皆さまをはじめ被災地に関わる方々が、復興したふるさとの姿や、そこで暮らす人々の幸せを思い描きながら、まちづくり計画の策定に向け、議論を重ねておられます。

 今年の2月に、益城町の復興まちづくりの現場を視察しました。熊本地震からの復興事業を担当する県の職員が、熊本地震からの創造的復興の経験は、豪雨災害の被災地でも生かすことができること、豪雨災害の被災地の支援も見据えながら益城町での事業に取り組んでいることなどを、話してくれました。私は、それを聞いて、創造的復興が形となりつつある街並みに、豪雨災害の被災地の未来の姿を重ね合わせ、必ずや創造的復興を成し遂げるという思いを強くしました。

 人吉市では、現在、1,800名を超える方々が、応急仮設住宅等に身を寄せられています。そこにおられる方々が、これまでさまざまな人生を歩んで来られたように、これから先の復興に向けた歩みも一様ではありません。私は、これからも被災者お一人お一人にしっかりと寄り添い、「誰一人取り残さない」という強い思いを胸に、被災地の創造的復興と被災者の心の復興に取り組むことを、皆さまに、お誓い申し上げます。

 この度の豪雨災害では、コロナ禍の中で、避難所における感染症対策や、災害ボランティアの受入れ・確保など、新たな課題への対応を迫られました。この難しい状況の中でも、人吉市におかれましては、感染症対策を徹底した避難所運営をはじめ、的確に対応していただきました。また、国におかれましても、熊本地震での経験も踏まえた強力なプッシュ型支援や自衛隊による災害廃棄物の除去支援など、柔軟かつ力強い御支援をいただきました。

 国や人吉市をはじめ全ての関係する皆さまの御努力と御支援に、心から感謝申し上げるとともに、犠牲となられた皆さまの安らかならんことをお祈りし、私の追悼の言葉といたします。

 令和3年7月4日 熊本県知事 蒲島 郁夫

ご遺族代表の言葉(西村直美様)

 令和2年7月豪雨災害の発生から早くも1年となる本日、遺族を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます。

 私の両親は、1年前の今日、令和2年7月4日に帰らぬ人となりました。父・西橋欽一享年85歳、母・西橋恵美子享年82歳でした。当たり前に故郷にいるはずの2人が居ないということが今でも信じられない気持ちで一杯です。

 私は、両親の元3人姉妹の次女として生まれ、18歳までこの人吉市で育ちました。教職を目指して福岡北九州に進学してからは、人吉は心安らぐ両親の待つ故郷となりました。北九州市で結婚してからは、孫の成長を見てもらおうと休みのたびに帰省をしました。両親は、孫の成長を何よりも喜んでくれていました。

 しかし、そんな幸せな日々は永くは続きませんでした。新型コロナウイルス感染症拡大による緊急事態宣言の発令により一転し、両親とは会いたくても会えない状況となりました。高齢の2人にとって、この期間は父の脳梗塞と母の認知症が進行し生死に関わる程のつらい期間となりました。宣言が解除された6月ごろからは、母は「直美、悲しくないのに涙が止まらん。」と娘の私たちに頻繁に泣きながら電話で訴えてくるようになりました。私は、電話をもらう度に父と母が心配で、心配で居ても立ってもいられず、7月4日に帰る約束をしました。 そして7月4日前日の夜に、帰省を待ちわびる父と母から「直美、あんた帰ってこんのね」と電話がかかってきました。これが父と母と交わした最期の電話でした。父と母は、娘と孫の帰りを本当に待っていたのだと思います。

 そしてあの日、7月4日の早朝、夜中から降り続く豪雨で球磨川が氾濫し堤防を超え、ものすごい速さで人吉の町をのみ込み、一瞬にしてドロドロの泥水とがれきの山に変えていきました。球磨川からあふれ出た水が自宅に押し寄せる中、お隣の奥さんが両親の元に「一緒に避難しよう」と誘いに来てくださったそうです。でも、奥さんからの何度もの呼びかけにも母は、「大丈夫だから」と避難の支援を断ってしまったのです。どうしても娘や孫に会いたいと、帰りを自宅で待っていたのだと思います。泥水は、あっという間に自宅を飲み込み1階を泥水で満タンにし、2階の床下すぐ下まで水が押し寄せていました。濁流で1階の扉がはずれ、階段に登る道をふさぎました。そして父と母は、水が引いた次の日の朝、1階のリビングで寄り添うように亡くなっていました。

 前日からの通行止めが解除され、やっと人吉に駆け付けることができた私たち家族は、道路が寸断され、車がひっくり返り、橋げたが落ち、がれきと茶色い泥水でドロドロになり変わり果てた故郷を目の当たりにしました。私は、あまりの凄さに声を失いました。さらに倒壊した自宅を見た時は、「もっと早く、帰ってあげればよかった。」と何度も後悔しました。

 それから2週間は、避難所で生活をしながらが壊れてぐちゃぐちゃになった自宅の片付けを家族みんなでしていきました。私が生まれ育った家、孫たちにとっても、大好きなおじいちゃん、おばあちゃんが笑顔で待ってくれている思い出の家です。「両親が悲しまないように」と必死に片付けていた時、これまで両親を支えてきてくださった方々が「大丈夫ね?」と悲しみに沈む私たち家族を何度も励ましてくれました。

 振り返れば、被災後の混乱の中で、どれだけたくさんの人に励まされたことか。本当にいろいろな形で私は支えてもらいました。

 そして、私は残されたものとして、しっかり伝えていかなければならないと強く思いました。それは「命さえあれば、未来は拓ける」ということを。

 私は、子どもたちの教育に携わる教師として災害によって同じ悲しみを子どもたちに負わせてはなりません。かけがえのない命の尊さを伝えていかなくてはいけません。「どんなことがあっても自分の命を守ることを第一に考えて行動すること。」そして「その命は、自分だけのものでなく、自分を支える多く人たちにとっても大事な命であること」を。「命さえあれば、未来は切り拓くことができる」ということを私は伝えていきます。また、「人間は弱く、自然災害には打ち勝つことは大変難しいですが、人間には困難を乗り越え、よりよく生きようとする強さと気高さがある。」ということを伝えていきたいと思います。 私は、両親も故郷人吉の家も失いましたが、私は、決して諦めません。この町の皆さんと一緒に、災害が起きる前の様な、人も自然も豊かで美しい人吉・球磨の町を復興させていきます。

 改めて、懸命に救助活動にあたってくださった皆さま、被災者の支援と復旧・復興を応援してくださった全ての皆さまに心から感謝申し上げます。

 最後に今回の豪雨で亡くなられた全ての方々の御霊の平穏を心から願うとともに新型コロナウイルス感染症が一日も早く終息し、再び世界中の人々の基に穏かな日常が戻ってくることを切に願い、遺族代表の言葉と致します。

 令和3年7月4日  遺族代表 西村 直美


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