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令和2年7月豪雨犠牲者追悼式を開催しました

更新日:2023年07月10日

  未曽有の豪雨災害から3年を迎えるにあたり、7月2日にカルチャーパレス小ホールにて令和2年7月豪雨犠牲者追悼式を執り行いました。

  追悼式では、参列者全員で黙とうをささげたあと、市長及び県知事がお亡くなりになられた方々への哀悼の意と被災された全ての皆さまへお見舞いを述べた後、多くの支援に対する感謝とともに、被災者にしっかり寄り添い復興を成し遂げていく決意を述べました。

  最後に遺族を代表し、伯母を亡くした倉岡伸至さんが「あの日見た惨状、伯母を亡くした悲しみは忘れることはない。」と語り、参列者は献花台に花を手向けて犠牲者の御冥福を祈りました。

  式典後は一般献花の時間を設け、市民の方々から献花をいただきました。

 

追悼式次第

   午前10時    黙とう

  • 主催者式辞             人吉市長・熊本県知事
  • ご遺族代表のお言葉
  • 献花

人吉市長   式辞

  私たちが当たり前のように送っていた平和な日常を突然に奪い去っていった未曽有の豪雨災害から3年を迎えようとしております。本日、御遺族や御来賓の御臨席を賜り、令和2年7月豪雨犠牲者追悼式を執り行うにあたり、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

  彼の豪雨災害では、災害関連死を含め、21名もの尊い命が失われ、本市全体が悲しみの淵に沈みました。

  犠牲となられた皆様の御冥福を心からお祈り申し上げ、本市を代表して、改めて哀悼の誠を捧げます。

  御遺族の皆様におかれましては、大切な御家族を突然失われた悲しみは余りにも深く、年月を経ても心の傷は癒えないものと推察いたします。

  あの日、濁流に飲み込まれたまちの姿を目の当りにした時に、絶望に近い強い衝撃を受けましたが、同時に、被災者の方が一日も早く日常生活を取り戻せるよう「できる事は全てやる」との覚悟を心に誓い、今日まで復旧・復興に全力で取り組んでまいりました。

  おかげをもちまして、国、県をはじめ多くの皆様の御支援によって、現在、事業所等の復旧も着実に進んでおり、なかでも、本市の観光を牽引するホテル、旅館等が次々と再開され、インバウンドを含む観光客など人々の往来が徐々に戻りつつあることに感慨を持って実感しております。

  しかしながら、現在でも、650名あまりの方々が応急住宅での生活を余儀なくされておりますことに想いを馳せる時、生活再建のためには、恒久的な住まいの確保が何よりも必要であるとの確信のもと、現在、災害公営住宅の建設、建設型応急住宅の市単独住宅移行など被災者の方々、近隣住民の方々など関係の皆様に理解を求め、御意向を丁寧にお聞きしながら進めております。

  私は、市民の生命と財産を守り、発災前よりも暮らしやすいまちを創っていくという本市の市長としての使命を果すため、二度とこのような災害を繰り返さないよう、国・県・流域市町村と連携し「緑の流域治水」の取り組みを強力に推進してまいります。

  また、どのような災害が本市に襲来しようとも、かけがえのない命を守りぬくため、避難路や避難場所の整備・拡充を進めるとともに総合型防災訓練や自主避難訓練を実施し、「逃げ遅れゼロ」のための避難体制を確立してまいります。

   私たちは、令和2年7月豪雨災害でかけがえのない多くのモノ、コトを失いましたが、同時に多くのことを学びました。私たちが当たり前だと思っていた日常は、遠い昔から先人たちによって受け継がれ、誰かの暮らしや生業、それも努力と協力によって成り立っていたということもその1つです。この真理ともいえるまちの美しい営みを人吉の未来を生きる若い世代に伝えていくことが、未来型復興を提唱する本市の責務でもあり、希望でもあります。

  このことをあらためて、深く胸に刻み、みんなが幸せを感じるまち。ずっと住み続けたいまち 人吉を目指して、復興への歩みを止めることなく、力強く前進していくことをここにお誓いいたします。

   結びに、御霊の永遠に安らかならんことを改めてお祈り申し上げるとともに、御遺族並びに御臨席頂きました皆様の御健勝そして本市の将来に御加護を賜りますよう心からお祈り申し上げ、私の追悼の言葉といたします。

令和5年7月2日   人吉市長   松岡   隼人

 

熊本県知事   式辞

  令和2年7月豪雨災害の犠牲者の追悼式に当たり、犠牲となられた方々に、熊本県民を代表し、謹んで哀悼の意を捧げます。

  球磨川流域を中心に未曽有の被害をもたらした豪雨災害から、3年が経過しました。67名もの尊い命が失われ、今もなお、2名の方が行方不明となっています。

  かけがえのない大切な人を失い、深い悲しみを抱える御遺族の方々の心情に思いを致すとき、今なお哀惜の念に堪えません。ここに改めて、心からお悔やみ申し上げます。

  私は、一夜にして変わり果てた被災地を目にした時、知事として、二度とこのような被害を起こしてはならないと固く決意し、一日も早い復旧・復興と、安全・安心を実現することを心に誓いました。

  私は、発災から4か月後に、球磨川流域の復旧・復興と治水の方向性として、命と環境の両立を目指した「緑の流域治水」を表明しました。この理念のもと、「復旧・復興プラン」や「球磨川水系流域治水プロジェクト」に沿った取組みを、国や市町村と連携しながら進めています。

  ここ人吉市では、青井地区と紺屋町の土地区画整理事業について、昨年度末に事業認可を受け、事業に着手しました。

  地域の宝である温泉旅館も、再建を目指す施設の9割が営業を再開され、観光客の賑わいも少しずつ戻り始めるなど、一歩ずつ着実に、未来に向けて復興が進んでいます。地域に賑わいと日常を取り戻すひたむきな努力に、心より敬服いたします。

  しかしながら、人吉市では、現在も337世帯の方々が、仮設住宅などでの生活を余儀なくされています。被災された方々の住まいの再建なくして、被災地の復興はありません。

  引き続き、「誰一人取り残さない」という強い決意のもと、一日も早く被災者の住まいの再建を成し遂げるなど、被災地の安心・安全の確保と、創造的復興に向けて、全力で取り組んで参ることをここにお誓い申し上げます。

  さらに、私たちには、災害の記録と記憶を風化させることなく継承していく責務があります。今年5月に完成した県の「防災センター」には、過去に熊本で発生した災害の教訓を学び、これからの自然災害に備えるための展示・学習室を設けています。

  私たちは、熊本地震と新型コロナウイルス、そして、この球磨川流域を襲った令和2年7月豪雨災害という、大きな困難に三度見舞われました。この3つの困難に立ち向かい、乗り越えた先にある熊本の輝かしい未来に向けて、手を携えながら歩んで参ります。

  これからも、人吉球磨をはじめとする県民の皆様が、将来に夢と誇りを抱き、安心して暮らすことのできる、熊本を築いていくことを、改めてお誓い申し上げます。

  最後になりますが、これまで賜りました、国や人吉市をはじめ全ての関係する皆様の御支援とご尽力に、心から感謝申し上げるとともに、犠牲となられた方々の御平安をお祈り申し上げ、私の追悼の言葉といたします。

令和5年7月2日   熊本県知事   蒲島   郁夫

ご遺族代表の言葉(倉岡伸至様)

  令和2年7月4日、伯母は球磨川の濁流に飲み込まれました。

  私の住まいも妻の実家も被災し、家財道具の全てを運び出す作業に没頭していた中、包括支援センターの職員の方から「アヤ子さんと連絡が取れていますか。」との電話があり伯母の元に急ぎました。町内の方が「おばさんの姿は見ていない。」と言われたので警察に連絡したところ、家の中で亡くなっていたことを聞かされました。

  子供がいなかった伯母は9人の甥や姪をとても可愛がってくれました。私が小学生になった頃、伯母はうどん店を営んでいました。土曜日に学校から帰ると近所の八百屋などにおつかいを頼まれ、帰るとおつかい賃の100円と手作りのおはぎをご馳走してくれていました。

  10年程前から付き添いを頼まれ、一緒に買い物に行くようになりました。料理好きの伯母は何件も店を回り、たくさんの食材を買っていました。きっとあの日の前日も料理をしたことでしょう。また、買い物のときは必ずお酒を買い、町内のお地蔵様に供えていました。

  「我が事よりも人の為、人様のお陰で生かされている。」というのが伯母の口癖でした。

  泥に埋もれた家の中からは、献血手帳が数冊、臓器提供意思表示証が出てきました。バッグの中には「これまでありがとうございました。長生きできたのも皆様のお陰です。私はもう長くは生きられません。お世話になりました。本当にありがとうございました。」と書いたノートの切れ端が入っていました。いつも持ち歩いていたようです。

  92歳「長生きだったね。ゆっくり休んでね。」と笑顔で見送るはずでした。

  しかし、その言葉は「苦しかったね、ごめんね。ごめんね。」と謝るしかない涙となりました。

  私はあの日見た惨状、伯母を亡くした悲しみは忘れることはないでしょう。多くの方々が被災し、住まいや財産、そして大切な命や思い出を失われました。今なお不自由な暮らしの中、再建に向け頑張っている方もいらっしゃいます。1日でも早く安全で安心して暮らせる日々が来ることを祈念しますと共に、本日ご臨席いただいた知事をはじめとする行政に携わる方々には迅速な復興への対応をお願い申し上げます。

  令和2年7月より支援活動をしていただいた多くの方々に心から感謝申し上げます。3年が経過しようとしておりますが、災害はいつ起きるかわかりません。教訓を生かした防災対策を行い、当事者として経験を伝え、これからも協力していきたいと思います。

令和5年7月2日   遺族代表   倉岡   伸至

この記事に関する問い合わせ先

人吉市 復興政策部 復興支援課 まちづくり推進係

電話番号:
【代表】0966-22-2111 (電話交換から担当部署におつなぎします)

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